眺めの良い部屋
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マウイ島で子育てしながら感じることを気ままに書いています。

by aroomwithaview
いやよいやよも好きのうち?
このブログを書き始めた2004年は、バレエは好きでないダンスのひとつだった。
プロフィールにもそう書いてある。
10歳未満の二人の娘をマウイ島で育てる真っ最中のママだった。
自分が試して楽しくなかった受験をしないような子育てを希望していたので
一般的にはヒッピーの行く学校という噂の学校に通わせていた。

その後、二人の娘に懇願されてバレエを習わせることになり
嫌いだったはずのバレエを好きになっただけでなく
自分もトウシューズをはいて娘たちと舞台に立つようになった。

バレリーナになりたいと思っていた娘。
そのために家族が一丸となって歩んできた十数年間。
結果は、その道をあきらめることになったけれど、悔いのない濃い時間だった。
そんな娘が、昨年、ハーバード大学に合格した。
合格通知を手にして一番最初に私に連絡してきた。
娘は私がどのくらい喜んでくれるのか知りたかった様子で録画までとられてしまった。

振り返ると、私の人生は嫌いと感じるものを好きになるように出来ている。
長い時間をかけて学ばされている。
これからは、この学びを生かして嫌いは好きということにしようと思う~


# by aroomwithaview | 2024-01-17 18:09 | 子育て | Comments(2)
不撓不屈

202387日マウイ島ラナイで火災が起こる。

歴史的な街が焼け野原になって消えてしまった。


その日、私は娘の引っ越しの手伝いをしながら、東京でマウイ島のニュースを追いかけていた。


数日後には地元で小学時代の同窓会を控えていた。

同窓会の気分ではなかった。

けれど、アメリカ滞在の私の帰国に合わせて企画してくれた同窓会でもあるので、気持ちを整理して参加した。


男女合わせて8人の小さな同窓会。三十年ぶりの再会。

そして、楽しみだったのは、二度と会うとは思っていなかった憧れのサッカーボーイとの再会。

私の青春の主人公のような存在だった。


私がマウイ島に住んでいることを知って、皆驚き、そして、ラハイナのことを心配してくれた。

そこで、神の采配とも言えるようなことが起きた。


憧れのサッカーボーイが私の目の前で、サッカー部の部訓を暗唱してくれたのだ。

私もところどころ一緒に唱えた。


周りの友達が、お前たち何してんだ?

そう言われる中、彼は全く気にすることなく部訓を最初から最後まで暗唱した。

力強いアスリートの誓いの言葉が、マウイ島を想い悲しむ私の体の隅々まで響き力を与えてくれた。


遠い昔、何度この言葉に助けられたことだろう?


サッカー応援の中高校時代、アメリカ留学時代、そして今。


不撓不屈という、その部訓


19歳でアメリカ留学を決意した私は、けじめをつけるために彼に会うことにした。


新宿アルタ前で待ち合わせをして、和風喫茶店に入った。

これまで数年間の彼への思い、そして、これからのことを話した。

タバコの煙とコーヒーに溶けていくクリームの渦は鮮明に覚えているのに、

彼の顔も、彼の言葉も何も覚えていない。


その数日後に頼んだ物が届いた。

それが彼の手書きのサッカー部の部訓。

お守りとして留学先に持って行った。

留学中は、写真立てに入れ勉強机の横に飾っていた。

凹んだ時は、必ず読み返し喝をいれていた。


穴が開き、水色だった便せんが所々黄ばんでしまったお守り。

今も手元にあることを伝えた。

とても驚いていた。


マウイに戻り現物を写真で送ったら、ほんとに驚いて、そして喜んでくれた。

彼にとっても人生のバックボーンのように大切だからと言っていた。


ラハイナの復興には相当の時間がかかると言われている。

不撓不屈の精神を思い出すことになった素敵な同窓会だった。


# by aroomwithaview | 2024-01-17 17:42 | ひとりごと | Comments(0)
覚書(ピロエットプレップ)
コロナと同時に始めたHIIT
二度ほど怪我をして動けなくなったけれど
現在も進行中
痛い思いをしたので一日おきにすることで落ち着いている
(一時期は毎日していた)

HIITの名の通り、インターバルを挟んで強烈に激しい動きをする
インターバルのところで私がしているのは
バレエのターンのプレップ(ピロエットプレップ)
今日は記録としてこのことを書いておこうと思って記事にしている

コロナ前の10数年間、娘たちとバレエを踊っていた
にもかかわらず、ピロエットというターンが上達することはなかった
コロナ中に体の軸を見つけたいと思った
ピロエットに特化した体の軸がどうしても欲しかった
将来舞台にたつわけでもないけれど
そう・・・来世のため?

3年目にしてやっとバラバラだった軸がわかるようになってきた
軸を支える筋肉がつき、メモリーとして体が記憶するところまで辿り着いた
今年になってからは目を閉じても出来るようになった

小さなことだけれど
大きな自信になった

いくつになっても継続は力なり

それが嬉しい

けど、なぜこんなことしているのか正直全くわからない

# by aroomwithaview | 2023-05-13 19:49 | ひとりごと | Comments(2)
Hello
お元気ですか?
もうどのくらいお話していないのでしょう

こちらは元気です

娘たちのいなくなった部屋をそろそろ片付けないことには
またキノコがはえてきそうです

週7日踊っていたバレエ
娘たちの卒業と同時にレオタードもトウシューズもみてません

ふと思うんです
人間でない生き物だったら
これで十分生きたはず

ちょっと途方に暮れたい気分なのですが
常夏のマウイ
爽やかな青空を目の前に
ちょっと調子狂っちゃいます

賞味期限もとっくに過ぎたようなので

こんな贅沢なことを言える人生に
乾杯です

ここまでこれたこと
感謝です

動きはじめよう
あなたが大好きだから

わたしはあなたに何を出来るだろう?


# by aroomwithaview | 2022-10-22 22:22 | ひとりごと | Comments(2)
行先不明のままで

娘たちが巣立った

*寝ても覚めても母親の日々だった

それがひとつの幕を閉じようとしている


さて・・・これからどうしよう?


ほんとは

さて・・・これからどうしよう?

なんて優雅なものではなく

次第に年数を増す真っ白な履歴書に不安になったこともあった


そんな不安が吹き飛んだ出来事が数か月前に起きた

忘れないうちに書いておこうと思う


それは長女を山側のドクターに連れて行った時の出来事


コロナ渦に大学を卒業し将来の見通しが悪い中

娘が悩んでいるのを感じていた

4年前はバレリーナになることをあきらめ

今回はコロナパンデミック

この時期の若者の辛さを想像すると心が痛んだ

そして娘は心を痛めていた

そんなこともあっての受診だった


そのドクターは医師免許を持つ開業医

特殊な能力を兼ね合わせ持つために

診断方法がユニークなことで有名だった


コロナ渦なので待合室は外

久しぶりに山側からの海を眺めていた

今にも泣きだしそうな空だった

携帯電話で暇つぶしをするのが勿体ない澄んだ空気のなか

久しぶりに山側の懐かしさを味わってみたくなり

瞳を閉じた


すると・・・

瞼に感じる曇り空の暗さが突然ピンク色に変わった

ディデュリデューという楽器の音が診察室の方から聞こえてきた

何が起きているのかはわからなかったけれど

娘が何かお払いのような儀式をしていることを想像した


30分もたたないうちに

ニコニコした娘とドクターが戻って来た


車に戻ると


娘 “ママ、私は13歳の時にホロコーストで死んだんだって”


私 “・・・”


娘 “前世”


しばらく言葉が出てこない


エンジン音だけが響く


山側のくねくね道をゆっくり走る

そうなんだ・・・

いや違う・・・

右往左往するかのように道も心も揺れていた


このドクターは数年前に次女が重度のアレルギー性皮膚炎になったときに

お世話になったひとりで(アメリカ&日本含め計10人ほどの医者に診てもらった)

それぞれに異なる診断をされ途方に暮れていた

数年後のある日

このドクターの診断が一番正しかったことを知った

しかもその時はペンデュラムでの診断だった


このドクターを心から信頼してはいても

いきなりホロコースト

そして前世と言われたら

たぶん誰も驚くと思う


前世を否定しているわけではない

初めて会う人に不思議なほどに懐かしさを感じたことがある

そして一番驚いたのは次女が生まれた時のこと


次女は病院に到着と同時に生まれた

担当医の到着も間に合わず

病室に着いて着替えている最中に生まれた

横になり娘と対面した瞬間のことだった

その小さな瞳

初めて出会うのに

どこかで会っている?

どこか懐かしい気持ちになった

けれど思い出せない

そう感じた自分に驚いた

そして長女の時にはそう感じてなかったことに気づき2度驚いた

これを前世の記憶と言うのなら

そういう事なんだろうと素直に思えた


長女の話に戻る・・・


長女は18歳以降は生きていない気がすると根拠なく思っていたらしい

子供のころから誰かに追われる悪夢でうなされることが何度もあった

私が仕事を再開しようと行動を起こすたびにエマージェンシールームに運ばれた

偶然だと思いたかったけれど何度か繰り返すうちに不気味にも感じられ

仕事の再開は娘たちが巣立ってからにしよう

元々はキャリア志向だった自分が

家族のために生きたいと思うようになっていた


バイオリンから始まりバレエはプロを目指して情熱を注いだ

私の役割は練習の相手そしてドライバー兼ダンサー

15年の月日を練習&リハーサル&舞台で過ごしていた

いつしか親子と言うよりはベストフレンドになっていた

明け方まで延々と話を聞いてあげることも多かった

あの頃の睡眠時間は4時間だったのが今では信じられない


ふと思った

もしかして

娘はこの人ならずっと傍にいて自分のしたい全てを一緒にしてくれる

そんな母親だと思って生まれてきたのかな?

前回の生があまりに短かったから?

胸がきゅーっとしめつけられた


本当のことなど知る術もないけれど

それより何より

私の人生がはじまる!と行先不明のまま自分を奮い立たせていた矢先

立ち止まってしまう出来事だった


ママのところに生まれてくれてありがとう”

母親という役目を体験させてくれてありがとう”

そんな気持ちでいっぱいになった


これからは

流れに身を任せながら

ほこりまみれの自分の情熱をあたためていこう

軽やかな気分が嬉しかった




# by aroomwithaview | 2022-02-10 11:50 | 子育て | Comments(0)